「私的正信偈(しょうしんげ) ~まことのしんじん~」
※「正信偈」…親鸞(しんらん)が著(あらわ)した『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の「行巻(ぎょうの
まき)」に書かれた「偈(げ。韻を踏んだりリズムを整えた韻文。うた)」。『教行信証』は、浄土真宗で
一番大切な経典(お経)。
※参考文献:『書いて学ぶ親鸞の言葉 正真偈』(東本願寺出版 2011)、『新版 うちのお寺は浄土
真宗』(藤井正雄 総監修、双葉社 2024)、『お経 浄土真宗』(早島鏡正・田中教照 編著、講談社
1983)など
※1文(7つの文字による漢文を2行)ごとに、メロディーをつけた。3拍子のワルツ風。
ギター演奏はストロークで↓・↓↑・↓↑(ジャーン・ジャカ・ジャカ)と↓(ジャーーン)。
※第1文の楽譜
第1文 原文「帰命無量寿如来 南無不可思議光」
きみょう むりょうじゅ にょらい なむ ふかしぎ こう
はかりしれなく生きる仏、阿弥陀如来(あみだにょらい)とそのまことの教えにしたがって、それらが発
する神秘的な光を敬います。
第2文 原文「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」
ほうぞう ぼさ いんにじ ざい せじざいおう ぶっしょ
阿弥陀仏が法蔵(ほうぞう)という名前で菩薩(ぼさつ)行(ぎょう)に励んでいた時、世自在王仏
(せじざいおうぶつ)という先生のもとにいました。
第3文 原文「賭見諸仏浄土因 国土人天之善悪」
とけん しょぶつ じょどいん こくど にんでんし ぜんまく
いろんな仏がそれぞれどのような因果の法則で悟りを開いたのか、いろんな国や地域、人々の間の
善悪がどのようなものなのかを見きわめました。
第4文 原文「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」
こんりゅう むじょうしゅしょう がん ちょうほつ けう だいぐぜい
この上なく大切な願いを立てて、ありがたく広大な誓いをおこしました。
第5文 原文「五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方」
ごこう しゆいし しょうじゅ じゅうせい みょうしょうもん じっぽう
はかりしれない長い時間の思いや考えが込められたこの願いと誓いを受け取り、実行して、将来、
そのことで自分の名声が世界中で聞かれるようになることも重ねて誓いました。
第6文 原文「普放無量無辺光 無碍・無対・光炎王」
ふほう むりょう むへんこう むげ むたい こうえんのう
あまねく放つ光は、何にもさまたげられない光・比べるもののない光・炎の王のような光。
第7文 原文「清浄歓喜智慧光 不断難思無称光」
しょうじょう かんぎ ちえこう ふだん なんし むしょうこう
きよらかな光・よろこびの光・智慧の光、断えることのない光・人知を超えた光・言葉でいいあらわせ
ない光。
第8文 原文「超日月光照塵刹 一切群生蒙光照」
ちょうにち がっこう しょうじんせつ いっさい ぐんじょう むこうしょう
太陽や月を超えた阿弥陀仏の光が全世界を照らし、すべての生きとし生けるものがその光につつまれ
ます。
第9文 原文「本願名号正定業 至心信楽願為因」
ほんがん みょうごう しょうじょうごう ししん しんぎょうがん にいん
本願の名号である阿弥陀仏を称(とな)えることは往生(おうじょう。浄土に往ってそこで生まれること。
輪廻からの離脱としての解脱)するための正しい行いであり、至心信楽(しんぎょう)の願(阿弥陀仏の
四十八本願の第十八願。「私が仏になるときには、全ての人が自分自身に備わっているまことの心に
至り(至心)それを信じ楽(ねが)って(信楽<しんぎょう>)往生するために念仏するならば、必ずそれを
成就させよう。それができないなら、私は仏にならない」という願い)がその原因としておおもとにあります。
第10文 原文「成等覚証大涅槃 必至滅度願成就」
じょうとうがく しょう だいねはん ひっし めつどがん じょうじゅ
仏と同等の悟りをひらいて涅槃(ねはん。煩悩<欲望への執着に苦しむこと>の火が消えたおだやかさ)
の境地に入ることができるのは、必至滅度の願(第十一願。「私が仏になるときには、私の浄土<注:仏
の数だけ仏国土である浄土が存在し、阿弥陀仏の浄土もその中の一つ>に往生した全ての人が仏に
なれるようにしよう。それができないなら、私は仏にならない」という願)が成就しているという証しなのです。
第11文 原文「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」
にょうらい しょい こうしゅつせ ゆいせ みだほんがん かい
お釈迦様がこの世に現れた訳は、ただ阿弥陀仏が受け取り実行した、海のように広くて深い本願を説明
するためなのです。
第12文 原文「五濁悪時群生海 往信如来如実言」
ごじょく あくじ ぐんじょうかい おうしん にょらい にょじつごん
世の中が社会悪や個人悪などで濁ってしまうような悪の時代を生きるすべての人々よ、お釈迦様のまこと
のことばを信じて生きていきましょう。
第13文 原文「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」
のうほつ いちねん きあいしん ふだん ぼんのう とくねはん
阿弥陀仏の本願を喜び愛する心が生まれたら、煩悩を断つことがなくても涅槃の境地に入ることができ
ます。
第14文 原文「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」
ぼんしょう ぎゃくぼう さいえにゅう にょうしゅうすい にゅうかい いちみ
凡夫(ぼんぷ)も聖者(自力や難行・苦行により悟りを開こうとして頑張っている人)も、五つの大罪(父・母・
修行僧を殺す。修行僧の集まりの和を乱す。仏の身体から血をながす)を犯した人も正しい仏の教えを
誹謗する人も、回心すれば誰もが同じく仏になることができます。それはあたかも、いろんな川を流れる
いろんな水が、海に入れば同じひとつの塩の味に溶け合うように。
第15文 原文「摂取心光常照護 已能雖破無明闇」
せっしゅ しんこう じょうしょうご いのう すいは むみょうあん
すべての人々を救う願いや誓いを抱いた阿弥陀如来の心の光は、いつでも私たちを照らし、そして護って
くれています。その光が、もうすでに私たちの無明(欲望にとらわれた煩悩のせいで、ほんとうのことが見え
なくなっている状態)の闇を破ってくれているのに、
第16文 原文「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」
とんない しんぞう しうんむ じょうふく しんじつ しんじんてん
私たちの貪欲さや憎悪心が雲や霧になって、いつも真実信心の空を覆い隠しているのです。
第17文 原文「譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」
ひにょ にっこう ふくうんむ うんむ しげみょう むあん
たとえばお日様の光が雲や霧に覆われていても、その雲や霧の下にも阿弥陀仏のまことのこころが届いて
いて、真実信心の空と同様この地上に闇は無く、明るいようなものです。
第18文 原文「獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣」
ぎゃくしん けんきょう だいきょうき そくおう ちょうぜつ ごあくしゅ
信心を得て仏法に出会い、それを敬って大いによろこぶ人になれば、すぐに五つの世界(天道・人道、
畜生道・餓鬼道・地獄道)での迷いを断ち切ることができるのです。
第19文 原文「一切善悪凡夫人 聞信弥陀弘誓願」
いっさい ぜんまく ぼんぷにん もんしん みだ ぐぜいがん
善人も悪人もなく全ての人において、阿弥陀如来の広大な誓いと願いを聞いてそれを信じれば、
第20文 原文「仏言広大勝解者 是人名分陀利華」
ぶつごん こうだい しょうげしゃ ぜにん みょう ふんだりけ
お釈迦様はその人のことを「広大な真理をつかみとった者」として、「汚れた泥の中から咲いた美しい白い
蓮の華」と名づけます。
第21文 原文「弥陀仏本願念仏 邪見憍慢悪衆生」
みだぶ ほんがん ねんぶ じゃけん きょうまん あくしゅじょう
阿弥陀仏の本願や念仏( ex. 至心信楽<しんぎょう>の願<阿弥陀仏の四十八本願の第十八願。「私が
仏になるときには、全ての人が自分自身に備わっているまことの心に至り、それを信じ楽<ねが>って往生
するために念仏するならば、必ずそれを成就させよう。それができないなら、私は仏にならない」という願い)
は、ほとけのまことを否定するまちがったものの見方・考え方でおごり高ぶっている人々にとって、
第22文 原文「信楽受持甚以難 難中之難無過斯」
しんぎょう じゅじ になん なんちゅう しなん むかし
それ(阿弥陀仏の本願や念仏)を信じ楽(ねが)って受け取り維持することはとても難しい。難しいことの中で
一番難しく、これほどの難しさは他にありません。
第23文 原文「印度西天之論家 中華日域之高僧」
いんど さいてんし ろんげ ちゅうか じちいきし こうそう
西の国インドと中国、そして日本の仏教学者や高僧(インドの龍樹や中国の曇鸞<どんらん>、そして日本の
法然などの「七高僧」)が、
第24文 原文「顕大聖興世正意 明如来本誓応機」
けん だいしょうこうせい しょうい みょう にょらいほんぜい おうき
お釈迦様がこの世に現れた目的は、阿弥陀仏の願いや誓いが私たち(凡夫)にふさわしいということを、
あきらかにしてくださっています。
第25文 原文「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺」
しゃか にょうらい りょうがせん いしゅう ごうみょう なんてんじく
お釈迦様は楞伽山で、多くの人々のために次のような教えを説かれました。「南インド(※楞伽<りょうが>は
スリランカの語源のランカー)に、
第26文 原文「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見」
りゅうじゅ だいじ しゅつとせ しつのう ざいは うむけん
龍樹(ナーガール・ジュナ)という高僧が登場して、存在すること(例えば「色<しき>」)と存在しないこと(例えば
「空<くう>」)の両極端にとらわれるものの見方・考え方をことごとく打ち破るだろう」と。
第27文 原文「宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」
せんぜ だいじょうむじょう ほう しょう かんぎじ しょうあんらく
そして「大乗(同じ大きな乗り物に乗るように、すべての人々を救う)というこの上ない教えを説き明かし、歓喜地
(かんぎじ)という不退転の地位(菩薩として生きていく道を、もう後戻りしないという境地)に入り、命尽きた後は、
阿弥陀仏の安楽な浄土に生まれるだろう」と。
第28文 原文「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」
けんじ なんぎょう ろくろく しんぎょう いぎょう すいどうらく
この龍樹菩薩は、難行(苦行などの修行によって悟りを開こうとすること)とは陸の道を歩くように苦しいことを
明らかに示し、易行(阿弥陀仏の本願<すべての人々を救うという願いと誓い>を信じて正しく生きること)が川を
船で進んでいくように楽しいことを信じ、願わせてくださいました。
第29文 原文「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」
おくねん みだぶ ほんがん じねん そくじにゅう ひつじょう
そして、「阿弥陀仏の本願を思い続けると、自然とすぐに、『私もいつか必ず仏になる。それはもう予め決定されて
いる』と信じることができる。
第30文 原文「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」
ゆいのう じょうしょう にょうらいごう おうほう だいひぐぜい おん
ただいつでも『南無阿弥陀仏』と称えることで、大いなる慈悲の心によりすべての人々を救うという阿弥陀仏の誓い
への恩返しをしなさい」ともおっしゃいました。
第31文 原文「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来」
てんじんぼさ ぞうろん せ きみょう むげこう にょらい
天親菩薩と呼ばれる世親(せしん)が、様々な仏教の経典を研究して、「無碍光如来である阿弥陀仏を敬いましょう」
と説明され、
第32文 原文「依修多羅顕真実 光闡横超大誓願」
えしゅたら けん しんじ こうせん おうちょうだい せいがん
経典の『大無量寿経』にもとづいてまことの教えが易行・他力であることを明らかにすることにより、一つずつ積み
上げたり回り道をせずに、苦しみや迷いを一度に乗り越えるための大いなる誓いと願いを、広く伝えてください
ました。
第33文 原文「広由本願力回向 為度群生彰一心」
こうゆ ほんがんりき えこう いど ぐんじょうしょう いっしん
そして、「広く阿弥陀仏の本願力のはたらきによって、生きとし生けるものが救われるように」とお考えになり、
「まことのしんじん」を「一心」と言い表しました。
第34文 原文「帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数」
きにゅう くどく だいほうかい ひつぎゃく にゅうだいえしゅ しゅ
また、「海のように満ちた阿弥陀仏の功徳(くどく。恵み)に帰依(きえ。信じて頼りにすること)すれば、必ず浄土
に往生(おうじょう。往<い>って生まれること)して、仏の教えを受ける人々の集まりに加わることができ
ます。そして、
第35文 原文「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」
とくし れんげぞう せかい そくしょう しんにょほっしょう しん
美しい白い蓮の花が咲いている浄土に往生できたら、すぐに阿弥陀仏のまことの教えのまま生きる仏そのもの
になることができて、
第36文 原文「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」
ゆうぼんのうりん げん じんづう にゅうしょうじおん じ おうげ
煩悩(欲望への執着に苦しむこと)が森林のように密集する場所であっても、そこで遊び、仏のちからをあらわし、
生きること・死ぬことの迷いが草原のように密生していても、一人ひとりに応じた教化の力を示すのです」と
おっしゃいました。
第37文 原文「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」
ほんじ どんらん りょうてんし じょうこう らんしょ ぼさらい
高僧の曇鸞(「七高僧」の一人)は、梁という国(都は今の南京)の皇帝が、常に曇鸞のいる場所(北魏という国。
都は洛陽)に向かって「菩薩」と呼び掛けて礼拝(らいはい)したお方です。
第38文 原文「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
さんぞうるし じゅ じょうきょう ぼんしょう せんぎょう きらくほう
(インド出身の)菩提流支(ぼだいるし)三蔵から浄土の教えを授かったので、道教(老子の道家思想が
ルーツの宗教)の経典を焼き捨てて、浄土の教え(「楽しい国」としての阿弥陀仏の浄土に往生すること)に
帰依しました。
第39文 原文「天親菩薩論註解 報土因果顕誓願」
てんじんぼさ ろん ちゅうげ ほうど いんが けんせいがん
そして、天親菩薩と呼ばれる世親(せしん)の『浄土論』を注釈して、浄土に往生するという結果とは阿弥陀仏
の本願が原因であることを明らかにされました。
第40文 原文「往還回向由他力 正定之因唯信心」
おうげん えこうゆ たりき しょうじょう しいんゆい しんじん
また、「浄土に往ったりそこから還ったりするのも、阿弥陀仏の本願力のはたらきによるもので、私たちが
浄土に往生することを正しく定める原因になるのは、そのことを信じる心だけなのです」とおっしゃっいました。
第41文 原文「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」
わくぜんぼんぷ しんじん ほつ しょうち しょうじ そくねはん
そして、「煩悩に染まった人でも、そのような信じる心を発揮すれば、生きていても死んでいても、煩悩に染まった
そのままで往生できると知ることができるし、
第42文 原文「必至無量光明土 諸有衆生皆普化」
ひっし むりょうこう みょうど しょう しゅじょうかい ふけ
はかりしれない光明に輝く浄土に必ず至って、すべての生きとし生けるものをそこで教え導く仏になるのです」
とおっしゃいました。